足跡(1)

みゅ担さんと、ライン変遷がすごすぎて把握しきれない、というお話になって、一度まとめてみようかなとも思っていたのでいい機会なので書き出してみました。ライン変遷、が主軸なので過去のお仕事全網羅はしてないです。あと当然ながら自分でみゅさんを見に行くようになってからのことしかわからない。あくまで個人的にまとめてみただけなので、名前など全く正式表記じゃない上にところどころどうでもいいわたしの主観が混ざっています、あしからず。要するにすごい不親切なまとめ。参考程度に。間違ってるよ!っていうところあればめんどくさがらずにご指摘くださいこれは切実に。


改めて、ずっとこの世界にいてくれてありがとうと思う。




2008年3月以前

知識不足でまとめられないので、どなかた教えてください。

2008年

大森田シンメ兼ジュニボとチビトップラインに片足突っ込む時期

  • 3月 ジュニボ(現すのに近い)に混じって横山くんソロコン遠征メンバーに選ばれる(シンメは大森)
  • 3月 横山ソロコンに出つつ、ドリボ・ユウキ役抜擢(森本・京本とトリプルキャスト)
  • 4月 ドリボ梅芸に帯同、数日ユウキ役で出演して帰京(その後のユウキは藤原じょーさん)
  • 5月 JUMP横アリでチビジュトップラインの一人として個人名で紹介される、このラインに片足突っ込む
  • 5月 少年収で舞闘冠バックに選抜(だてなべいわさくいっきみゅ)、ジュニボにも片足突っ込む

ずっと「踊れるチビ」のトップラインにいたみゅさんに個人での人事がいろいろあった春。

ジュニボとチビトップラインの掛け持ち期

  • 7月 Jr.Boys(だてなべふかさくいわあべいっきみゅ)の一員としてPZ出演。シンメはいっき。でもチビ枠の出番もあって忙しいみゅさん
  • 8月 サマリー。ジュニボ、チビラインどちらの出番もあって「一番衣装替えの多いジュニア」だった
  • 10月 大倉ソロコン出演、括りはあべいわみゅ(ジュニボの中学生チーム)
  • 10月 みゅさん13才

ここでいうチビトップラインはしんたろさんやきょもさん。12才ですでにライン掛け持ちを経験して、一番衣装替えが多いジュニアの座についていたみゅさん。サマリーの出番は本当に多くて、チビラインで歌った直後にジュニボとしてソロダンス、などもあって大変そうだった。

突然のヒプホ結成

  • 11月 エビキスコンで突然のHip Hop Jump。メンバーははぎじゅりじぇしみゅカミュ
  • 1月 滝沢革命もヒプホとして出演

まじ突然のヒプホ。青天の霹靂。少年でも毎月尺があって雑誌も載って、今で言うB少年的な存在だった。ヒプホができたことにより半年お世話になったジュニボのお兄さんたちとはお別れ。


2009年

ヒプホとは…?期

  • 3月 7コンまではヒプホだった
  • 4月 はぎじゅりはJUMPツアーバック、みゅさんは演舞城(シンメは大森か笹原)で分かれる
  • 4月 少年でヒプホの名前が呼ばれず、はぎじゅりが個人名で紹介されたことによりいろいろ察する

言葉を選ばずに言うとヒプホから外されて、無所に戻った時期。

半ヒプホで半無所期。大森田かはぎみゅ期

  • 5月 少年でもカツンブレコンでもシンメらしいシンメは特になし
  • 6月 ジュニアフォーラムコン、シンメは大森か萩谷。よくわからないめんつでヒプホとして紹介され困惑
  • 6月 滝ソロコンもシンメは大森か萩谷
  • 7月 PZははぎみゅ、JUMPコンははぎみゅうたろう(+じゅんぺーくん)でゆるっと括られたり
  • 8月 ジュニアフォーラムコン、ほとんどシンメもラインもない単独立ち位置。MAGMAだけヒプホ括りだけど実質バックダンサー

ヒプホなの?もう違うよね?ヒプホって何???みたいな時期。ヒプホじゃなくなってからの方がなぜかはぎみゅシンメは多かった。滝ソロを最後に大森くんが姿を消し、はぎじゅりとの境界線もはっきりしてきて、いよいよジプシー化。シンメも混ざれるラインもなく、ソロダンスとか単独の出番があるのみの謎の存在に。

ジプシー期

  • 9~2010年春 嵐、キスマイ、JUMPコン、少年やHHSなどの収録、いろんな現場あったけどシンメもラインも定まらず
  • 10月 みゅさん14才

もうヒプホではないけど中学生無所ラインに入ることもできず、完全に孤高の人。少年でのシンメは毎回違ったし、出番も減った。当時の無所担の中で「孤高の森田先輩」と呼ばれ、それはそれでかっこよかったけどいろいろと不安定な時期。

2010年

あきはるかんみゅ

  • 3月 少年であきはるみゅが括られることが増える
  • 4月 横山ソロコン、完全にあきはるかんみゅでひと括りに
  • 5月 フレジュクリエもあきはるかんみゅ

半年ぶりに「いつものライン」ができる。はるみゅかかんみゅシンメ。踊れる無所ラインと認識されてたようで、かっこいい曲に使ってもらえることが多かった。4人ともA型なのでチームAと(我々おたくが勝手に)呼んでいた。

突然のPZ、突然のSAD

  • 6月 PZ看板に写真が載る。後の兄組のはじまり
  • 7月 PZ出演。SADって呼ばれてた

このときはこの括りがずっと続く、そのはじまりになるなんて全く思ってなかった。

再びあきはるかんみゅ

  • 9月 少年での括りは夏以前のまま
  • 10月 みゅさん15才
  • 11月 滝翼コン、東西もずっとこの括り。東西はなぜかひろきとうえしょも混ざってた
  • 12月 少年収を最後にいったんお休みに入る、その間同ラインのみんなはJUMPツアーバックに

青山と梅芸の夏が終わったら、何事もなかったかのように元のラインへ。このときはまだ、のえみゅひろしめは本当に一夏のくくりという認識。


2011年

お休み明けてもまだあきはるかんみゅ→夏は青山

  • 5月 現場復帰はJUNPコンかな?あきおが不在ではるかんみゅ
  • 5月 藤北クリエも同様、主にはるみゅ
  • 7月 前年と同じ4人でPZ、この夏の名前はJR.A
  • 9月 少年たち。あきはるもいたししめのえひろもいた、はず

2011年はわたしがおたくをまじめにやってなかったので何現場が抜けがある。スマさんのファンミはあきはるみゅで出ていたはず。ひばりさんコンサートはPZ組で。なおヒプホを抜けて以降は本当にただの無所属ジュニアで、雑誌に載ることもマイクを持って歌うこともなかった。

総無所時代

  • 10月 みゅさん16才
  • 11月 えびコン、突然のジュニア総無所時代に。みゅさんもラインやシンメは特になし

ここがなんか分かれ目というか、このあといろいろと動き出した。あくまでもみゅさん比で。


2012年

無所、JR.A、みゅうたろう

  • 1月 革命。JR.Aと安井高田たかしあたりでひと括り。みゅうたろうとのえみゅシンメ多め
  • 2月 えび座。同上
  • 3月 えび座地方も場所によってみゅうたろうたかし、のえみゅ、とかいろいろ

JR.Aとやっすーたちを混ぜたようなライン。久しぶりに少年でマイクをもてたのもこの頃。みゅうとくんにまた風が吹き始めた頃。

JR.AからTravis Japan

  • 4月 歌舞伎。JR.AとしてPZ以外に初めて出演。そして確か歌舞伎期間中に夏の青山のお知らせが来て、そこに「Travis Japan」の文字があった
  • 5月 えびクリエ、えびwithぬんぼクリエのバックにJR.A+たかよしはんざわで出る
  • 5月 えびwithフレジュクリエに出演していたトラジャ弟組とバックの兄組で曲披露、Travis Japanのお披露目
  • 7月 Travis JapanとしてPZ出演
  • 8月 PZ楽翌日からエビサマ。トラジャで1曲披露もしたけど、このときはまだ兄組と弟組はまだまだ別物扱い。雑誌もトラジャ表記だけど弟組しか載ってなかった
  • 9月 エビサマ以降ひろきが一時不在になって、のえしめみゅで少年たち。あらちかがWキャストで弟役

トラジャができて、ユニットの一員として少年含むいろんな現場に出るようになって、新しい境地。シンメは基本のえみゅ。

突然の謎選抜

  • 10月 みゅさん17才
  • 11月 ジャニワパンフで、いわふかはぎやすもろみゅだけ妙に写真が大きくてざわつく
  • 11月 でもジャニワは基本トラジャとしての出番
  • 11月 運命の少年収、謎選抜、の始まり

ここからもうずっと2人いた。トラジャの森田美勇人と、そうじゃないところの森田美勇人。そのもうひとつがLove-tuneという形になるのは、まだまだ先の話。
長くなったので、続きはまたいつか。